沖田の日記

人生のきっかけなんぞ、だいたい「なんとなく」じゃよ。

ぼくの平成時代。

 

平成が終わります。

 

昭和59年生まれのぼくは、4歳のときから平成を生きてきました。

 

小学校時代まではお父さんがレストランをやっていて、バブルの流れから独立して経営してたんでしょうけど、子供のぼくにはそんなことは全然知らなくて。

 

ドラゴンボールを買ってもらってスーパーファミコンを買ってもらって、

各種ゲームソフトを買ってもらってゲームボーイも買ってもらって、

ミニ四駆にもハマってお小遣いをもらって買って、

コロコロコミックも毎月買ってもらって、

進研ゼミもやらせてもらって野球もやらせてもらって。

 

レストランの経営も苦しかったのだと後から聞きましたが、それでも小学校時代はかなり自分の欲求を聞いてもらえた気がします。

 

小学生ながらに「ジャンプは週刊で毎週せがむのも悪いから、月刊の漫画本を買ってもらおう」と配慮していたのを覚えています。

 

中学校の時は自分も成長期になるのですが、母が学校のバザーでよくおさがりの制服をもらってきていました。

 

高校に進学したのと同時期くらいに父は店をたたみました。

 

高校受験も「公立で。もし私立になるなら学費が低めのところで」と母親に相談されていました。

 

結果、公立高校に合格したのですが、野球部なので硬式用グラブやスパイクを買ってもらいました。

 

ユニフォームは先輩のおさがりをもらいました。

 

母は毎日お弁当を作ってくれて、練習後に食べるおにぎりも持たせてくれていて、苦労をかけたと思います。

 

家で内職をしている時期もありました。

 

大学にも進学させてくれました。

 

さすがに国立大学とまでは(学力的に)いきませんでしたが、現役でいきました。

 

母が「浪人するよりは現役の方がいい」と言っていたのですが、実際は浪人させるほどの経済的余裕がなかったのかと思います。

 

大学の学費も全部出してくれました。

 

ぼくは何も考えていなくて、バイトして、遊んでいました。

 

教職課程の単位を取って、卒業と同時にフリーターになりました。

 

「芝居をやってみたい」という希望も母は「期限を決めてやりなさい」と認めてくれました。

 

3年間くらい芝居をやって、派遣とかでつないで、中学の臨採教員になったらストレスで心が病みました。

 

母はそんなときも「やめていい」と言ってくれました。

 

そしてぼくは母とネットワークビジネスを始めることになります。

 

しかし、ぼくのグループは全然できず(母はすでにそこそこの実績を作っていた)、5年弱くらいでネットワークビジネスから身を引きます。

 

それから再度臨採教員になり、今では母から「採用試験、勉強してんの?」とプレッシャーをかけられています。

 

母はたぶん母の実家の財産を切り崩しながら今生活しているのだと思います。

 

ちなみに父はレストランをたたんだ後、工場勤務を経て、今は造園屋で雇われて仕事しています。

 

 

 

ぼくの歩んできた平成の30年は「お金に困っている時代」だったと思います。

 

家族みんなでお金に困っていました。

 

上記にはぼくのことしか書いていませんが、ぼくには妹も二人いるので、そっちにかかるお金もありましたし。

 

世の中全体としては悪い時代ではなかったと思います。

 

バブルは弾けましたが、日本は平和でしたし、明るいニュースもちょこちょこありましたし。

 

災害が多くてもなんとか必死に立ち上がろうとする人々の強い姿も見られました。

 

 

 

明日から新しい時代に突入します。

 

令和。

 

新しい天皇陛下の即位をお祝いしたいと思います。

 

新時代がさらに良い時代になるように、期待を込めて。

 

我が家もお金に困らない時代になってほしいです。

 

いや、お金に困らないようにするのは自分自身ですね。

 

誰かに頼ったりしているうちはダメです。

 

自らの手で掴み取らないと。

 

収入も多くしたい(ので教員を頑張っていけばいいし、採用試験も頑張ればいい)。

 

無駄な豊かさは望まず、足るを知るということを大事にして。

 

 

 

平成が終わります。

 

令和が始まります。