沖田の日記

がんばれ、おれ。

ブログの記事は「自分が納得して書き上げているか」が大事。

 

前に「150記事達成しました〜」という記事を書きましたが、今日20本強の記事を削除しまして、沖田の日記の記事数が150を下回りました。

 

普段から特に質の高い記事を書いているわけではなく、ただ気の向くままにつらつらと書き連ねているだけなのですが、さすがに「こんな一言で終わる記事なんかヤバいだろー」と思うものは消しました。

 

というかめちゃめちゃ機械的に、下のような「記事の管理」画面で

 

f:id:kjux3r7335:20190209191633p:plain

 

本文のところの最後が「…」で終わっていないものを一括で削除しました。

 

 

***

 

 

ブログ記事って別に文章の長さはそれほど重要じゃないと思ってるんですよ。

 

文章が短くてもそこに本当に情熱がこもっているだとか、必要な情報が網羅されているだとか、そういうことであれば文字数なんか関係なくて、それはそれで素晴らしい記事になると思っています。

 

今回削除したのは全部昨年の記事なんですけど、「毎日書く」っていうことにとらわれすぎていてただ惰性で書いていたものでした。

 

そんなのに読む価値なんかないんですよね、ほんと。

 

いや、それはそれで「ああ、この時期は毎日がしんどくてまともな記事が書けなかったんだなぁ」っていう振り返りはできるかもしれませんよ。

 

そういう意味ではそういう記事もありっちゃありなのでしょう。

 

けど、たしかに沖田は「ブログなんて自由に書けばいいじゃん」っていうのを推奨しているんですけど、それはあくまでひとつひとつの記事について「書ききった!」と納得して投稿しているものに限ると思うんですよね。

 

Mr.Children桜井和寿さんは「Mr.Childrenの楽曲に捨て曲はない」と言っていたというのをどこかで聞いたことがあります。

 

小説家の米澤穂信さんも何かの記事(星野源さんとの対談)で「昔の作品は技術的に不足していて、今書いたら手直しするべきところはたくさんあるけど、でもそれは書いた当時でしか書けない作品なんだからそれはそれで良いのだ」みたいなことを語っていたのを覚えています。

 

星野源さんも同意していました。

 

Mr.Childrenにしても米澤穂信さんにしても、星野源さんにしても、自分で自分の作品に対して「やりきった!」というものを世に送り出している自負があるからこそ、そこまで言い切れるんじゃないかと思うんですね。

 

その積み重ねなんですよ。

 

自分が精一杯に創作したものを、ひとつひとつ世に送り出していく。

 

昔のアルバムも是非聴いてください、昔の作品も是非読んでください、そう言えるようにするには全部全力でつくっていくしかないんです。

 

「ブログは自由にやればいい」というスタンスは変わらないです。

 

が、僕としてはブログはシンガーソングライターにも似ていると思っていて、ひとつひとつの記事がそのときの自分の心の叫びなんですよね。

 

想いをできるだけ込めた文章であってほしいというのが、自分のブログに対しての願いです。

 

何かのきっかけで「沖田の日記」にたどり着いた人が他の記事も読んでくれたときに、胸を張って「昔の記事も読んでみてください」と言えるようにしておきたいんです。

 

そこは今後揺るがさないようにしたい「矜持」のような部分です。

 

 

学校の先生をやっていて、平日に毎日家に帰るのは夕食と睡眠と風呂のためだけです。

 

ブログを書くなんて余裕は肉体的にも精神的にも時間的にも皆無です。

 

毎日5時間半〜6時間睡眠ではちょっとしんどいです。

 

仕事はやりがいを感じていますが、それだけでは精神面で健康的な生活は送れないような気がしています。

 

 

最後は話が逸れましたが、これからも納得して書ききった記事を投稿していきたいと思います。